MW-ムウ-を観た

原作は読んでいないのですが、ネットであらすじを読んで面白そうと思い、山田孝之も好きだし、と観てみました。
レビューサイトでは、「がっかり! でも玉木宏が良かった」みたいなレビューが多かったのですが、本当にそうなのだろうな、という感じ。
でも、レビューを読んでいて、原作はすごく読みたくなったので、原作は買おうと思います。

映画に関して、正直、途中で寝てしまったので、玉木宏が演じる結城が「重ねた犯罪」を見逃しています。
それでも、ラスト30分を見ても「意味わかんない」とならない。
そういう映画でした。


それにしても、玉木宏のあの声の良さはなんなんでしょ。
どうしてあんな深いところから声を出してるんでしょ。
声が良すぎて、笑ってしまいそうになる。
テレビドラマに出始めの藤原竜也とか、舞台でこなれた堂本光一とか、そのへんに近い感じで。
いや、ちゃんと収まってると思うんですけどね、玉木宏は。


そして、本当にがっかりだったのが山田孝之
この映画のような役ならば、がんばって体を絞ってこぎれいにして出てくれば良かったのに。(ピッタリした髪型にしたかったけど、それが出来なかったとオフィシャルサイトで言っていたので、他の仕事の都合もあったのでしょうけど)

せめてこれくらいには。
2〜3年前から「アクの強い役でもこなせる実力派」的な役者と言われることが増え、初期の頃のアイドル的なところから脱却出来ているのですから。(そして、スキャンダルもなんとか乗り越えることが出来たわけだし)
「汚いのも綺麗なのもOK」なところが見たかったなあ。
山田孝之が綺麗にして出てきたら、もう少しだけでも、見ごたえがあったかもしれない。


MW(ムウ) (1) (小学館文庫)

MW(ムウ) (1) (小学館文庫)

MW(ムウ) (2) (小学館文庫)

MW(ムウ) (2) (小学館文庫)

鑑識・米沢守の事件簿を見た

ドラマの相棒が好きで、初期の頃は毎週熱心に見ていました。
最近では、憶えていたら見る、という程度です。それでも好きです、相棒。
刑事貴族も好きだったし。チープな人間ですとも。

で、もっと好きなのが、劇団扉座
鑑識・米沢守の事件簿の主演、六角精児さんが所属する劇団です。
「新・羅生門」という舞台を見たことがきっかけで、一時期は公演の度に最低2回は観劇していました。
下北沢の小さな劇場のロビーで、声をかけると気さくに対応してくださった六角さん。その六角さんが映画主演かあ、と、個人的に感慨深いです。

まあ、それはさておき。
相棒シリーズの、マラソン大会な映画はテレビ放映された時に流し見したのですが、特に感じることもなく。
米沢守の事件簿も、正直、何も期待していなかったのです。
期待していなかったのですけれど、すごく良かった……片桐はいりが。

以下、ネタバレです(お断りを)


この映画、かなり2時間ドラマ的でした。
ひとりの女性が変死する→警察は自殺と判断→自殺とは思えない!という女性の元夫(刑事)が現れ、主人公と一緒に独自の捜査→女性が殺される理由や容疑者が現れる
といった。
2時間ドラマといえば、配役で犯人がわかっちゃう、なんてことも多々ありますが、この映画もそれっぽいキャスティング。

●萩原正人……所轄の刑事。離婚した妻が殺される。
伊武雅刀……警察の天下り先の団体のトップ
市川染五郎……上記の団体の中間管理職
片桐はいり……上記の団体の職員

萩原正人はこの映画の<相棒>役。彼の元奥さん役は紺野まひる。彼女が、上記の団体(まあ、名前を憶えていないのでこうやって書くのですけども)に勤めていたため、この団体の中に彼女を殺した犯人がいるんだよね、という感じで物語は進んで行きます。
で、2時間ドラマ的に配役で犯人当てをしようとした場合、伊武雅刀はあまりにもそれっぽすぎて除外。
市川染五郎片桐はいりか、という感じだけど、途中からどんどん怪しくなる市川染五郎
そしてやっぱり、犯人は片桐はいり
でもまあ、市川染五郎なのか片桐はいりなのか、わりとギリギリのところまで配役だけではジャッジし難い雰囲気にしてはありました。

この片桐はいり。自己中な屁理屈で横領し、それが紺野まひるにバレて殺してしまう、という感じなのですが。
「彼女は私に同意してくれるはずだったのに」といった感じの台詞。
このあたりの片桐はいりが良かったです。怪演。
テレビや映画に出演する片桐はいりって、コメディエンヌ的に扱われることが多いような気がするのですが、今回はとても陰鬱でした。
演出家の狙いなのか、片桐はいりの解釈なのかはわかりませんが、ともすれば単にヒステリックになりがちなところを、抑えた感じが良かった。
片桐はいりの顔だから、あの目だからこそ、出来たのかもしれません。


ということで、見終わって印象に残ってるのは片桐はいりのみ。
あとはほとんど、個人的にはハズれてました。感じるところも笑うところも無かった。

ですが、相棒シリーズのファンにターゲットを絞り切っている感じは、潔いのでは無いかと思いました。
ところどころ、無意味に現れる水谷豊と寺脇康文とかね。
何しろ、六角さんがでずっぱりですから、ふっと水谷豊が画面に入ってきた時、その可愛らしさに萌えます。
そう。相棒シリーズに萌える女性達にも優しくて美味しい、そんな映画でした。
以上。


この映画を見ていて、六角さんてこんなに大きい演技だっったっけ? と思うことが何回かありました。
主演向きでは無いのかなあ。
やはり舞台の人なのね……というのは強引だし。

ノン子36歳(家事手伝い)を観た


鶴見辰吾山下真司の見分けがつかなかった時期がありました。
今にして思えば、根本的に色々と違うのに、どうして見分けがつかなかったのだろう。
ちなみにその前は、渡哲也と渡瀬恒彦の見分けも付きませんでした。これは今でも微妙です。二人並んでいればすぐにわかるのですが、ピンで見てしまうと、「あれ、これはどっちだ?」と、戸惑います。

哲也・恒彦兄弟のことはさておき、泣き虫先生のこともさておき、鶴見辰吾の出ている映画を観ました。
[rakuten:felista:10400357:detail]
「ノン子36歳(家事手伝い)」

ケーブルテレビでやっていたのです。(ケーブルテレビは私のようなテレビ人間を確実に駄目にします)
なんつータイトルだ、と思ったのですが、監督が熊切和嘉さんだと知ったので観ました。好きなんです。

東京でタレント活動をするも泣かず飛ばずで、マネージャーと結婚したが離婚、そして実家の神社で家事手伝い。というものの、何もしないで毎日を過ごし、幼なじみのやってるスナックでクダを巻き煙たがられるノン子。
このノン子が、思いつきだけで行動しているような年下の男の子と出会い、恋愛関係になっていく、というようなストーリーです。
エンターテイメント性は乏しく、地味で、とても面白い映画でした。

ノン子と恋愛関係になる青年・マサルを「大人計画」の星野源くんが好演しています。星野源くんて、ドラマ版「アキハバラ@DEEP」で初めて知ったのですが、どちらかといえば今回の役の方が印象的でした。
若さしか無いのに活力が無い、そんなつまらない青年役です。このマサル、祭りで出店を出したいと頼みに来るのですが、仕切り役の津田寛治にあっさり断られるんですね。それで、許可がもらえるまで諦めないと言って、ノン子の実家に居候するんです。
さらに、許可がもらえていないのに、出店で売るためのヒヨコを注文して勝手にノン子の家に届けてもらうわ、津田寛治のことを「ああいう人は義理人情の人ですから」と言い切って、祭り当日になれば許してくれると思い込む。
結局、彼のヒヨコ売りは許されないのですが、この時に「あんた、義理人情の人じゃないのかよ!」と、津田寛治にキレ、殴りかかり、地元の青年団に囲まれてボコボコにされるんです。
キレるまで、マサルはずっと淡々としているんです。感情表現もあまり無いし、ノン子とのセックスも淡々。
それでいて、最後にキレる。マサルには全く同情できず、好きにも嫌いにもならなかったんですけど、あっさり忘れるわけでも無く……残尿感みたいなキャラクターです。星野源くんだから、この残尿感が出せたのでしょうね。


そして鶴見辰吾ですが、彼はノン子の元夫で元マネージャーの宇田川として登場します。
いきなり現れ、復縁を迫る。さらに、タレント復帰のチャンスがあるから、東京で二人でやり直そうともちかけてくるのです。
この映画の中盤の見せ場は、鶴見辰吾と坂井真紀の濡れ場でしょう。古くて狭い和室で、言葉無く粗雑に行われるセックス。痩せていて、女性的な魅力をあまり感じさせない坂井真紀の身体と、丸出しの鶴見辰吾の尻が猥雑です。
ワンカットで撮られたこの濡れ場、鶴見辰吾がとにかく良いんです。愛情を感じない鶴見辰吾のセックスに、彼が演じた宇田川という男の人となりやノン子との関係をはっきりと見ることが出来ます。
終盤にわかるのですが、ノン子のタレント復帰話は嘘で、宇田川の目的は自分の借金を肩代わりさせることでした。しかし、ノン子の幼なじみのスナックのママとあっさりデキてしまい、彼女に頼ることにするのです。

ノン子は、宇田川の話にその気になるのですが、祭りの日、宇田川から全てを打ち明けられます。
さらに、祭りではマサル青年団にボコられ、騒ぎになっている。思わずマサルの手を引いて走り出すノン子。そのまま、二人は電車へ。

ここまでで終わるのもアリなのかもしれません。でも、電車が東京に着く前に、マサルが乗り継ぎ駅で飲み物を買いに行っている間に、ノン子は黙ってUターンする電車に乗って去って行ってしまうのです。
ラストシーンは、道をうろうろしているニワトリ(おそらく、マサルのヒヨコが大きくなったもの)を見つけたノン子が、それを捕まえる、その笑顔です。

と、地味な映画に長々と書いてしまいましたが、大きな事件がほとんど起こらないからこそ、人間そのものを描くことが出来るんじゃないでしょうか。
そういう映画が好きです。


ちなみに、いちばん好きな映画はこれ
[rakuten:es-toys:10096769:detail]
アニメファンにはボロクソに言われたらしいですが、これ、素晴らしいですよ。
主演の村石千春さんは、もう引退しちゃったんでしょうか。だとしたらもったいないです。


そういえば、ノン子36歳の熊切監督も、くりいむれもんの山下監督も、大阪芸大出身の監督さんですね。

舞城王太郎=小沢健二って趣味が悪い

文芸誌をナナメに読むブログ
http://bungeishi.cocolog-nifty.com/
を、時々拝読しています。
先日、枡野浩一さんとゴニョゴニョあったようです。
それに関しては特になんとも思わないのですが、枡野浩一さんがご自身のブログの中で以下のようなことをおっしゃっていました。

ちなみに、
舞城王太郎の正体は小沢健二
という一部で流行した都市伝説は、
数年前の四月馬鹿に私が創作して流布させました(本当)。
http://masuno.de/blog/2010/04/28/post-177.phpの記事より引用いたしました。

そういえばmixiでそんなような話題を目にしたことがあったような気がします。
それにしても、「舞城王太郎小沢健二」って、えらく趣味が悪いと思います。
ここでの趣味が悪いとは、「面白くもなんともない事」です。
思わず信じてしまいそうなものか、トンデモか、「嘘をついた事」をネタにするのであれば、そういうものでないとつまらないです。
舞城王太郎の本を読んだことがあり、小沢健二の楽曲を聴いたことがある、という人なら、「舞城=オザケン」と聞いても、相手にしないでしょう。
そのかけ離れた具合が嘘として面白い、というのでしょうか。それにしても、トンデモにもならない。全くもって嘘としては駄作です。
実際、枡野さんは「流布」したとおっしゃっていますが(自分ついた嘘の中で一番多くの人を騙したものだとも)、言うほど広まっていなかったと思うのですが。
面白い・興味深いと思った人が多ければ、嘘はどんどん広がっていきます。いかにも本当らしい嘘も。
ドラえもんの最終回とかね。私は趣味じゃないですが。(「さようなら、ドラえもん」が、最終回として一番好きです)
まあ、「多くの人」というは、どれくらいが「多く」なのか人それぞれだと思いますので、「全然多くの人を騙してないじゃん」とも言い切れないのでしょうけど。
100人騙しても少ないという人もいるし、2人騙したら多い、という人もいると思いますし。
私が知らないだけで、その嘘がつかれた頃には、話題になったのかもしれません。枡野さんの一部で、とおっしゃってますし。
なんにしても、舞城=オザケンはつまらない嘘ですし、それを今になって持ち出すということもひっくるめて、趣味が悪いなあ、と。
というか、このエントリの中で持ち出す必要無いと。



それで、ちょっと考えてみたのですが。
私だったら、
舞城王太郎の正体は田中ロミオだった!
っていう嘘をつきます。


ディスコ探偵水曜日〈上〉

ディスコ探偵水曜日〈上〉

ディスコ探偵水曜日〈下〉

ディスコ探偵水曜日〈下〉

ディスコ探偵水曜日を読むと
CROSS † CHANNEL (クロスチャンネル) (通常版) - PSP

CROSS † CHANNEL (クロスチャンネル) (通常版) - PSP

CROSS † CHANNELを思い出します。

櫻井翔くんはホットドッグプレス読者

嵐にしやがれ」ご覧になってますか?
http://www.ntv.co.jp/arashinishiyagare/

私、ほぼ毎回観ています。
好きなんです、嵐。特に櫻井翔くん。
櫻井翔くんといえば、サクラップで慶応出身でニュースZEROなわけですが、「不器用」「運動音痴」「撫で肩」「絵が下手すぎる」といった「へたれキャラ」を担当しています。
で、この「へたれキャラ」というの、かなり本当なんだろうな、と、思っていたんです。
バラエティ、特に嵐5人のバラエティ(「真夜中の嵐」〜「宿題くん」までの深夜枠の番組や、「VS嵐」、「マゴマゴ嵐」など)を観ていて、櫻井翔くんのスベり方って、かなり可哀相なんです。相当面白くないことを言うんです。その面白くなさが、結構痛い。
面白いことを言ってても、なんかタイミングを間違っている感じで滑ります。
滑舌の悪さと若干早口なところなんかも、その可哀相具合に拍車をかけてます。


そんな櫻井翔くんが、「嵐にしやがれ」で北方謙三と対面した時に

「俺の憧れの人」
「高校生の頃どれだけ熟読したか」
ホットドッグプレス!」

と言っていて、なんてやっぱりなんだ……と思いました。
これをネタとして言ってるのだった、(というか、ネタとして「ホットドッグプレス」を口にしたのだったら)、かなりニヤニヤするんですけど。
絶対、本気でホットドッグプレスの愛読者だったに違いないと。
小学生の頃、同居していた叔父の部屋で「ホットドッグプレス」を見たんですけど、「童貞向けのセックスハウツー」的な記事が、写真つきで4ページに渡って掲載されていまして、前戯からフィニッシュ後まで、NG例も紹介しながら。
子供心に、「ホットドッグプレスってそういう雑誌なんだな」と思い、以来、ずっとそのイメージのままです。
てか、そういう雑誌ですよね?


ああ、でもググってみたら、読者コーナーとかそこのコラムとかは面白かったみたいですね。
てか、いわゆるサブカル層に受けそうですね。サブカルって言葉嫌いですけど。


櫻井翔くんが熟読していた、北方謙三のコーナーについては、こんなページがありました
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/059/p01.html
これ見ていて思い出したのですが、大槻ケンヂが、この北方謙三のコーナーに関して、何度かエッセイで書いていましたな。
「死にたくなったら本を読め」っていうのを。
それで思いついたのですが、櫻井翔くんの可哀相な感じって、オーケンに通ずる部分があるのかも。
サブカル(この言葉嫌いですけど)系の駄目男子。
そういえば、櫻井翔くんってジャニーズの携帯サイトで書いてる日記の書き出し、「どうも僕です」なんですよ。
そうかそうか、そういうことか。ひとりで納得しました。



それにしても、櫻井翔くんが「ホットドッグプレス」を購読していたと聞いても、全く違和感を感じません。
やっぱり、北方謙三のアドバイスにしたがって、とにかく女を知ろうとしたりしたのでしょうか。想像したくねえな。アイドルだし。
想像したくないけど、「童貞向けハウツー」的な記事も熟読していたような気がします。そんなの萌えてしまう。
どんなに可哀相な子でも、櫻井翔くん好きです。


よい子の味方 新米保育士物語 DVD-BOX

よい子の味方 新米保育士物語 DVD-BOX

このドラマで櫻井翔くんが好きになりました。
C×D×G no ARASHI! Vol.1 [DVD]

C×D×G no ARASHI! Vol.1 [DVD]

C×D×G no ARASHI! Vol.2 [DVD]

C×D×G no ARASHI! Vol.2 [DVD]

嵐といえばこれです。

舞城王太郎の少女漫画

ビッチマグネット
「ビッチマグネット」舞城王太郎
芥川賞候補作品



最近の少女漫画といえば、私的には末次由紀の「ちはやふる」がダントツ。だけどまあ、舞城王太郎ではない。そもそも、舞城王太郎と少女漫画って、かけ離れたものだと思う。
じゃあどうして「舞城王太郎の少女漫画」なのかと言えば、「ビッチマグネット」に大島弓子的なものを感じたからだ。


「ビッチマグネット」は、主人公・香緒里の視点で物語が進行していく。
浮気性で、家を出て不倫相手のところへ行った父、何も出来ない母、イライラして暴力的になっている弟。壊れかけた家族の中で、香緒里は弟と自分のつながりだけは信じている。親は(それこそ父親のように勝手に家を出て)いなくなるけれど、兄弟は距離や時間を問題とせず兄弟であり続けるという気持から。
そして、弟に寄ってくる「ビッチな」少女と、それによって弟にもたらされる厄介ごとに首を突っ込んでいく。
舞城王太郎の作品はいつでもスピードがあり、物語がめまぐるしくどんどん進行していく。「ビッチマグネット」は、そのめまぐるしさが無い。それでも、エピソードは淡々と重ねられていく。この物語の進み方が、大島弓子の作品を思い出させた。また、登場人物が持つ優しさや性格の悪さも。
そして何より、家族と少女の成長をきっちりと描いたところが、大島弓子を感じさせる核だったのだと思う。大島弓子はその数々の作品の中で、家族や家族とのコミュニケーション、そのままならなさを、主に少女の視点で描いてきた。舞城王太郎の作品にも、家族は欠かせない要素だったし、少女が主人公の小説もいくつか書いている。
それでも、今まで大島弓子的だと感じなかったのは、怒涛と言える物語のスピードや、饒舌すぎる文体のせいだろう。ミステリや暴力描写等の要素では無く。


今回、舞城王太郎はすごくシンプルに少女と家族の物語を書いた。物足りないと感じる人もいるだろうし、これだけ(舞城王太郎としては)シンプルな作品でも、読みにくいと感じる人もいるだろう。
私は読み終わってすごく満足した。物足りなさが絶妙で、読後にノスタルジックな気持が残る。そして、舞城王太郎の文体が、シンプルでありきたりになりがちなストーリーを、物語として成立させている。
小説は、洗練されるとどんどんシンプルになると思う。そして、シンプルな小説こそ、読者に与えるものは多く、大きい。
このシンプルさって、最近はどんどん少なくなっているものではないだろうか。小説でも、漫画でも。