舞城王太郎の少女漫画

ビッチマグネット
「ビッチマグネット」舞城王太郎
芥川賞候補作品



最近の少女漫画といえば、私的には末次由紀の「ちはやふる」がダントツ。だけどまあ、舞城王太郎ではない。そもそも、舞城王太郎と少女漫画って、かけ離れたものだと思う。
じゃあどうして「舞城王太郎の少女漫画」なのかと言えば、「ビッチマグネット」に大島弓子的なものを感じたからだ。


「ビッチマグネット」は、主人公・香緒里の視点で物語が進行していく。
浮気性で、家を出て不倫相手のところへ行った父、何も出来ない母、イライラして暴力的になっている弟。壊れかけた家族の中で、香緒里は弟と自分のつながりだけは信じている。親は(それこそ父親のように勝手に家を出て)いなくなるけれど、兄弟は距離や時間を問題とせず兄弟であり続けるという気持から。
そして、弟に寄ってくる「ビッチな」少女と、それによって弟にもたらされる厄介ごとに首を突っ込んでいく。
舞城王太郎の作品はいつでもスピードがあり、物語がめまぐるしくどんどん進行していく。「ビッチマグネット」は、そのめまぐるしさが無い。それでも、エピソードは淡々と重ねられていく。この物語の進み方が、大島弓子の作品を思い出させた。また、登場人物が持つ優しさや性格の悪さも。
そして何より、家族と少女の成長をきっちりと描いたところが、大島弓子を感じさせる核だったのだと思う。大島弓子はその数々の作品の中で、家族や家族とのコミュニケーション、そのままならなさを、主に少女の視点で描いてきた。舞城王太郎の作品にも、家族は欠かせない要素だったし、少女が主人公の小説もいくつか書いている。
それでも、今まで大島弓子的だと感じなかったのは、怒涛と言える物語のスピードや、饒舌すぎる文体のせいだろう。ミステリや暴力描写等の要素では無く。


今回、舞城王太郎はすごくシンプルに少女と家族の物語を書いた。物足りないと感じる人もいるだろうし、これだけ(舞城王太郎としては)シンプルな作品でも、読みにくいと感じる人もいるだろう。
私は読み終わってすごく満足した。物足りなさが絶妙で、読後にノスタルジックな気持が残る。そして、舞城王太郎の文体が、シンプルでありきたりになりがちなストーリーを、物語として成立させている。
小説は、洗練されるとどんどんシンプルになると思う。そして、シンプルな小説こそ、読者に与えるものは多く、大きい。
このシンプルさって、最近はどんどん少なくなっているものではないだろうか。小説でも、漫画でも。